2026/5/28
マウントジーンズ那須を振り返る
ハイライト
ポストバブルの名残,そして終幕。マウントジーンズ那須を振り返ります。
[目次]
1.はじめに▼
2.ゴンドラ路線図▼
3.最盛期のコースマップ▼
4.第1ゴンドラの消滅▼
5.第2ゴンドラの消滅▼
| 【マウントジーンズ那須】 ●標高 1,410 m/950 m ●標高差 460 m ●コース面積 33 ha ●最長滑走距離 2,000 m ●最大斜度 25 度 ●索道数 7 本(最大6本) ●開業日 1994年12月 ●閉業日 2024年3月10日 ●事業者 東急リゾーツ&ステイ(株) ●所在地 栃木県那須郡那須町大字大島 |
マウントジーンズ那須は、栃木県那須町に存在した1994年12月に開業した首都圏近郊型スキーリゾートです。
那須連山東側の中大倉山(標高950〜1,410m)に広がり、首都圏から約2時間というアクセス性の高さから、関東圏の日帰りスキー場として人気を集めました。
マウントジーンズ最大の特徴は、「首都圏近郊なのにゴンドラ主体」という点でした。
山麓から一気に山頂まで輸送するゴンドラを中心に、
・幅広い中緩斜面
・初中級者向け中心のコース設計
・人工降雪機による安定営業
・キッズパーク併設
といった、ファミリー・日帰り特化型の性格が強いスキー場でした。
特に初心者向けエリアも充実しており、「初めてスキーをする場所」として利用した関東圏ユーザーも多かったことで知られています。
その反面,コース数は7本程度と多くないため中上級者にとっては物足りないような構成でした。

2. 歴史を知る
■NAPとは
マウントジーンズは、東急リゾーツ&ステイ株式会社 が運営していたスキー場です。もっとも、開業当初から東急グループが運営していたわけではなく、東急による運営は2005年から始まっています。では、それ以前はどのような計画で開発されていたのでしょうか。その手掛かりとして意外に重要なのが、索道設備に残された「銘板」です。
ふとクワッドリフトの銘板を見ると、そこには現在の名称ではなく「NAPスキーリゾート」という表記が残されています。
「マウントジーンズなのに、なぜNAP?」
実は、この“NAP”こそが、計画初期の姿を探る大きなヒントになります。

さかのぼること1987年。
プラザ合意後の急速な円高不況を打開するため、政府は内需拡大策の一つとして「総合保養地域整備法」、いわゆる“リゾート法”を成立させました。当時は全国各地で大規模リゾート開発構想が立ち上がっていた時代で、スキー場やホテル、ゴルフ場を一体整備する巨大プロジェクトが次々と計画されていきます。そんな中、三重県・宮崎県・福島県に続き、4番目に承認されたのが、栃木県の「日光那須リゾートライン構想」でした。この構想は、那須から日光にかけての広大な観光エリアを一体的に整備するというもので、8つの重点整備地区が設けられ,その一つとして位置付けられていたのが「那須プレリー重点整備地区」です。
そして、この“那須プレリー”地区の中心施設として整備されたのが、後のマウントジーンズ那須でした。ここで、以前触れたクワッドリフトの銘板に刻まれていた「NAP(那須プレリー)スキーリゾート」という名称につながります。

開業時の事業者は,第3セクターの那須高原リゾート開発(株)で,当時の資本金2億円のうち50%を日本ビューホテル,30%を那須興業,10%を那須町,残り10%が金融機関の出資構成でした。
■当初の計画
那須プレリーの整備方針は,「広大なプレリーに遊ぶ牧場体験リゾート」を掲げ,那須高原に広がる牧場地帯を活かした“体験型・学習型リゾート”として計画されていました。観光だけではなく,酪農や自然との触れ合いを前面に押し出した構想であり,当時の那須町でも「牧場を中心とした,これまでとは一味違うリゾート開発」として期待を集めていました。酪農不況に悩まされていた地域にとっても,新たな観光需要を呼び込む起爆剤になるのではないか――そんな期待感が地元には広がっていたといいます。計画では,一期工事としてロープウェイ(ゴンドラ),草スキー場,体験型牧場,畜産博物館などを整備し,那須の自然や酪農文化を楽しみながら学べる施設をつくる予定でした。そして二期工事では,ホテルやプールなどの滞在型施設を整備し,およそ10年をかけて一大リゾートを完成させる壮大な構想だったのです。
そして1989年には起工式も行われ,いよいよ牧場を核とした一期工事が始まる……はずでした。
しかし,実際に優先して具体化していったのは,スキー場開発でした。
1989年,「中大倉山スキー場(仮称)」開発事業に関する土地利用の事前協議書が栃木県へ提出されます。この時点で,那須プレリー構想の中心が,牧場リゾートではなくスキー場開発へ大きく傾いていたことが明らかになっていきます。本来主役となるはずだった牧場体験型施設は後回しとなり,開発の前面に出てきたのは,大規模ゲレンデや索道施設を中心とした典型的なリゾート開発でした。
当時はまさにバブル経済の真っ只中。各地で似たようなスキー場やリゾート施設が次々と計画され,地域性,酪農文化を活かすという理念よりも,短期間で集客と利益を狙えるスキー場開発が優先された姿は,まさに“バブルらしい金太郎飴方式の開発”だったとも言えるでしょう。
結果として,「牧場体験リゾート」という当初構想は徐々に存在感を失い,那須プレリーはスキー場主体のリゾートへと姿を変えていくことになります。


■スキー場立地
スキー場は,初めにも述べたように那須連山東側の中大倉山(標高950〜1,410m)に広がり、首都圏から約2時間というアクセス性抜群です。アクセスが良い反面,山頂でも標高1,410m程度と、豪雪地帯のスキー場と比べると決して高いとは言えず、シーズンごとの積雪変動が非常に大きいエリアでした。実際、暖冬年には降雪不足に悩まされることも多く、開発計画段階から人工降雪機の導入が前提とされていました。また、このスキー場の立地は、ゲレンデ一帯が国有林内に位置している点です。しかも場所は、日光国立公園の「普通地域」。特別保護地区ほど厳しい規制ではないものの、自然公園法による一定の制約を受ける地域であり、無制限に開発できる場所ではありませんでした。そのため、開発計画当時にはスキー場建設に対する反対運動も起きていました。国有林かつ日光国立公園内という立地であったことから、
・自然環境への影響
・ブナ天然伐採
・観光開発による生態系への懸念
などを理由に、地元や自然保護団体を中心として慎重論も出ていたようです。
しかし最終的には、二期工事の中止や計画変更を経てスキー場は完成し,今に至ります。



