雫石盛衰の象徴「雫石ゴンドラ」を追う①

索道レポート

2026/5/28
雫石 盛衰の象徴「雫石ゴンドラ」を追う①
第1回:コースマップから読み解く雫石スキー場の盛衰史


ハイライト

雫石スキー場に眠る休止中ゴンドラを2回に分けてレポートします。

第1回:コースマップから読み解く雫石スキー場の盛衰史
第2回:現地レポート ― ゴンドラと現在の雫石スキー場

[目次]
1.はじめに▼
2.ゴンドラ路線図▼
3.最盛期のコースマップ▼
4.第1ゴンドラの消滅▼
5.第2ゴンドラの消滅▼

1. はじめに

雫石スキー場は岩手県を代表するビッグゲレンデの一つです。
1993年には,FISアルペンスキー世界選手権の会場にもなった本格派スキー場で,現在も“高速ロングクルージング”を楽しめる東北屈指のスケール感を持っています。そんな雫石スキー場ですが,FISアルペンスキー世界選手権が開催された最盛期の1993年当時には,実に2本ものゴンドラを擁していました。
しかし現在,それらはどちらも休止状態となっており,事実上の廃止設備となっています。とはいえ,完全撤去されたわけではなく,巨大な駅舎,山中に残る支柱などは現在も各所に残されており,最盛期のスケールを今に伝えています。今回は,過去のコースマップ,雫石に今なお残る旧ゴンドラ設備の様子を,写真を交えながら振り返っていきたいと思います。

2. ゴンドラ路線図

赤線がゴンドラ路線になります。
雫石スキー場は,1969年に雫石町が国土計画(株)(=現:西武・プリンスホテル)に計画策定を依頼し,1980年に総面積400ha(ロープウェー1本,リフト2本)でスタートしました。
アルペン世界選手権が開催された1993年の最盛期には,雫石スキー場には2本の長大ゴンドラが存在しており,どちらも路線長3,000mを超える本格的な山岳路線でした。
第1ゴンドラは,現在のメインゲレンデが展開される高倉山方面へ。一方,第2ゴンドラは向かって右側,小高倉山方面へ伸びています。

地形図やゲレンデ配置を見ると非常に興味深く,両路線とも単純に輸送のためだけではなく,
・FIS基準を満たす標高差(800m~1,000m)
・ダウンヒル競技に必要な滑走距離
・国際大会レベルのコースレイアウト
を成立させるため,尾根筋に切り開いて建設されています。
また,3,000m級という長大さも当時としてはかなり大規模で,現在の国内スキー場でも,このクラスのゴンドラは決して多くありません。
それだけ当時の雫石が,“日本を代表する国際競技スキー場”として莫大な投資を受けていたことが伝わってきます。

3. 最盛期のコースマップ

1993年FISアルペンスキー世界選手権が開催されたときのコースマップです。
今となっては信じられないほど気合の入ったデザインです。「天狗の踊り場」や「きつねいばり」などコースに詳細な名前も付けられています。



上図は,1993年FISアルペンスキー世界選手権開催時の開催パンフレットです。
当時の雫石は,ほぼ同時期に開発された安比高原スキー場と何かと比較される存在でしたが,世間的なイメージではどうしても安比優勢です。
安比といえば,あのウサギのキャラクターが思い浮かびますが,当時のホテル,施設,グッズ展開もかなり洗練されていて,グッズも大人気。
一方の雫石も,パンフレットにはキジのキャラクターが登場しているのですが……正直,グッズ展開やブランドイメージではかなり差を付けられていた印象です。
当時の空気感は,安比には東京のイケているギャルが集まり、雫石は地元の日帰りスキーヤーで埋まっているそんなイメージ感と思います。

ゲレンデ規模やコース内容では雫石の方が一枚上手と感じていますが,“リゾート感”や“華やかさ”という部分では,今も安比の存在感が圧倒的です。
だからこそ,この1993年の世界アルペン開催は雫石にとって非常に大きな意味を持ち,「雫石を全国区の国際リゾートとして売り出したい」というコクドの意志が感じられます。
現在ではそのゴンドラも廃止され,こうしたパンフレットを眺めていると,1990年代初頭の雫石の勢いが見えてきて非常に面白いです。

実際のところ,アルペン世界選手権の開催によって雫石の知名度は大きく向上したものの,開催期間中は悪天候に悩まされ,競技運営にも影響が出たほか,大会後の報道は必ずしも前向きなものばかりではありませんでした。
結果として,世界大会開催という大きなブランドを得ながらも,最終的には安比高原スキー場を超える北東北ナンバーワンリゾートとしての地位を確立するには至らず、両者の差は最後まで埋まらなかったように感じます。

個人的には,セントラルでダレる安比より最後までスパルタな雫石が好きなんですが,世間受けはしないでしょう。

4. 第1ゴンドラの消滅


2005年頃のコースマップを見ると,スキーバブル崩壊後の落ち着いた時代背景もあり,かつてのような華やかなコース名の表記はかなり簡略化され,全体として簡素な構成に変化していることが分かります。
この頃は,まだ現役第1ゴンドラ,第2ゴンドラともに現役でした。
ただ,北東北のスキー場,特に奥羽山脈周辺に位置する安比高原スキー場や雫石スキー場は,「風の通り道」とも言える地形特性を持ち,日本海側から吹き込む強い季節風の影響をまともに受けるため,もともと風が非常に強いエリアです。
その中でも第1ゴンドラは,尾根沿いを通る路線構成であったことから特に強風に弱く,運休率も高く,加えて索道の観点では、昭和59年建設という比較的初期の6人乗りゴンドラであり,当時としては先進的であった一方で,機器面の不安定さやトラブルも少なくなかったと言われています。(3連休で一回も第1ゴンドラが稼働しない...ということもあったとか)

このように運休リスクの高いゴンドラではあったものの,当時のスキー場構造としては,第1ゴンドラが停止すると左右のエリアを完全に分断してしまうという致命的な問題を抱えていました。そのため後年になって,第1高速リフト山頂駅から連絡ロマンスリフト(現・パラダイスリフト)が新設され,エリア間の移動手段が補完される形となりました。


2009年のコースマップです。
2000年代前半は岩手山の活動活発化の影響もあり,お隣の岩手高原スノーパークが休止するなど,この周辺のスキー場へ訪れる人は減ったと予想しています。
さらに,2000年代後半は運営面でもコクド再編もあり転換期となり,プリンスホテル前エリアのゲレンデまでも一部休止となるなど,全体として規模縮小しています。一方で,サンシャインリフトがペアリフトへと架け替えられるなど,滑走エリアを維持しようとする動きも見られます。
そして,2008年についに第1ゴンドラが休止されました。
第1ゴンドラが担っていた“縦の基幹輸送”が失われた影響は大きく,かつてアルペン世界大会の男子滑降コースの大部分を1本の索道でアクセスできた構造は崩れることになりました。以降は,3本のリフトを乗り継ぐ必要が生じ,そのうち2本は長距離かつ低速のリフトであることから,滑降コース全体の回遊性は低下しました。現在は,滑降コースにかつての賑わいはなく,落ち着いた状態へと移り変わっています。
第1ゴンドラが休止したことで,第2ゴンドラが雫石ゴンドラの名称を受け継いでいます。


第1ゴンドラ入口前には,運行休止を告げる掲示がされています。

数年前までは,雫石のスタッフブログに第1ゴンドラ引退に関する記事が掲載されていました。しかし近年は,情報発信の中心がSNSへ移行した影響もあり,こうしたスタッフブログ自体が姿を消してしまいました。
リアルタイム性という点ではSNSにも利点がありますが,その一方で,過去の記事が体系的に残りにくく,スキー場の歴史や設備更新の記録が埋もれてしまうのは少し寂しく感じます。

5. 第2ゴンドラの消滅


2026年のコースマップです。
2009年に一度は営業休止となっていたプリンスホテル前のゲレンデですが,その後の利用者からの反発や利便性の観点から,復活する形となりました。
2013年より雫石ゴンドラ(第2ゴンドラ)が休止され,小高倉山側の女子滑降コースは,現在ではCATツアー専用のVIPエリアとして細々と残る形になっています。

現在の女子滑降コースはパウダーを押していますが,確かにこのエリアは気温が低く,降雪直後には質の高い雪を楽しめるポテンシャルがある,一方で,年間降雪量そのものは決して多くはなく,下部エリアでは降雪機に依存していた場面も多いため,トップシーズン以外で常時パウダーを期待するのは難しいのが実情と考えます。
近年のパウダーブームに合わせた形になっていますが,環境条件を踏まえると雫石の長所を活かした戦略かと思えば少々疑問が残ります。
アルペンスキー世界選手権で一躍名を馳せた歴史を持つ雫石ですが,現在は大規模ローカルスキー場として逆戻りしている印象です。